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流浪夢の日記


あひるのたわごと      台湾ドラマと台湾で活躍している芸能人が大好きなあひるのブログです。なんとなく、やっています。
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Duncan廣告起家吸毒阻星路 放棄風浪板 期待再戰演藝圈

Duncan廣告起家吸毒阻星路 放棄風浪板 期待再戰演藝圈_c0023053_20151356.jpg蘋果日報 (2006/1/22)
Duncan廣告起家吸毒阻星路
放棄風浪板 期待再戰演藝圈

【黃一平╱台北報導】周群達(Duncan)出道七年多,演藝生涯遇到兩次起伏。他在香港拍廣告走紅,來台發展卻一籌莫展;拍《七劍》後好不容易聲勢漸漲,卻爆發吸毒事件。日前吸毒案法院已宣判,待他接受勒戒,他將回演藝圈,期待再站上浪頭「不再有低潮」。

Duncan二十歲玩票接拍快遞廣告引起經紀公司注意,簽約成為藝人。兩年後,只會說廣東話的他選擇來台發展,住在東區的小套房,等待展開演藝生活。

逃離家人盛名來台
「那時我完全無法和別人溝通,到麥當勞用餐,也只會對店員比手勢點餐。」Duncan說,更慘的是,他住的套房外頭「越夜越美麗」,每晚窗外的吵鬧聲,吵得他不成眠,他只有選擇上夜店逃避噪音。直到他接了第一部戲收入改善,搬到較好的環境,生活才逐漸改變。
雖然他當時在香港小有名氣,卻選擇陌生的台灣過苦日子,只為逃離家人的盛名陰影。他的父親是香港知名風浪板教練黎根,表姊李麗珊更是奧運金牌得主,Duncan也是風浪板高手,但他不願比賽受訓,只希望好好享受運動的樂趣。第一支廣告成功,他發現了新的方向,卻得不到父親的諒解,媒體也永遠稱他「李麗珊的表弟」,讓他決定到異地發展。

《十七歲的天空》走紅
在台灣熬了三年,《十七歲的天空》讓他走紅,只是他擁有陽光笑容,卻不善言詞,因此曝光量遜於另一主角楊祐寧。徐克相中他參演威尼斯開幕片《七劍》,徐若瑄力薦他當東京影展觀摩片《人魚朵朵》男主角,眼看他有機會站上浪頭,卻突然爆出吸毒案,使他失足跌入低潮。
不像他當年逃避壓力離開老家香港,這次他留在台灣等著面對一切。只是他又得重新等待工作機會,等待下個浪起,讓他有機會站穩在高高的浪頭。

拍男男愛不敢給父親看
Duncan的父親無法諒解他放下風浪板進演藝圈,他因同志片《十七歲的天空》第一次享有知名度,此片還回銷香港,他卻不敢讓父親知道他拍了這部電影。
他雖放棄成為風浪板選手,他仍將這項運動當成自己的嗜好,每當休假他仍會到海邊玩風浪板,也因此認識了不少同好,甚至曾參加友誼賽拿了獎座,以不同的方法,承續父親的期望。

滿意自己表現
《十七歲的天空》將同志生活拍得陽光健康,Duncan也滿意自己在片中的表現,但劇情裡男男接吻、床戲,實在不容易讓保守的老人家接受。Duncan說,香港首映時,媽媽、妹妹都進了戲院觀賞,稱讚他在片中帥氣,但就是沒人敢讓父親看這部電影。問他是否希望爸爸看《十七的天空》,他笑笑沒有回答,心裡卻是渴望父親看到自己努力的成績。還好他爸爸

風浪板高手密碼
藝名:周群達(Duncan)
本名:賴登勤
年齡:28歲(1977.9.19)
身高╱體重:177cm/70kg
作品:
電影《人魚朵朵》、《七劍》、《十七歲的天空》
電視劇《香草戀人館》、《極速傳說》、《心動列車》《紫色角落》、《青春六人行》、《蜜桃女孩》
廣告FedEx快遞(出道作,香港播出)、福特汽車、維他露御茶園
得獎紀錄:
亞洲重量級風浪板男子組第1名;香港滑浪風帆代表隊




周群達(Duncan)はデビューして7年、俳優人生で2度の起伏に遭遇した。彼は香港で広告の仕事で人気を得、来台して発展したが、なす術がなくなったのか。「七剣」後、ようやく人気が出始めたが、そんな折、吸毒事件を起こしてしまった。先日この件に関する判決が言い渡され、彼は勒戒を言い渡された。きっと彼は芸能界に復帰し、「もう低潮はない」と再び表舞台に帰ってくるだろう。

Duncanは20歳の時に快遞広告に出演し、芸能事務所の注目を集め、契約して芸能人になった。2年後、広東語しか話せないにもかかわらず来台して発展することを選択し、東區の小套房(2K?)に住み、芸能生活を始めた。

逃離家人盛名來台
「あの頃は全く人と意志の疎通ができなくて、マックで食事するにも、店員にジェスチャーで注文してたよ」 Duncanが言うには、更に悲惨だったのは、彼の部屋の外は「越夜越美麗」、毎晩騒音、言い争う声で熟睡できなかったことだ。彼は夜店に行き騒音から逃れた。すぐに収入を得て、よりよい環境に引越し、生活は次第にに改善された。彼はその時香港ではちょっとは知られていたが、よく知らない台湾での苦しい日々を選択したのは、ただ家族の名声の影から逃れるためだった。彼の父親は香港でよく知られているウィンドサーフィンのコーチであり、従姉の李麗珊はオリンピックの金メダリスト、Duncanもウィンドサーフィンの選手だった。しかし彼はレースのための練習ではなく、ただスポーツとして楽しむことを希望していた。初めての広告で成功した彼は新たな方向を見つけた。父の理解は得られず、メディアは永遠に彼を「李麗珊の従弟」と称することは、彼に異国で発展することを決意させた。

《十七歲的天空》走紅
台湾で堪えること3年、「17歳的天空」は彼を有名にした。彼は陽光の笑顔をもっているが、話下手なため、もう1人の主演楊祐寧より見劣りしてしまった。徐克監督は彼を気に入り、ベネチア映画祭のオープニング作品だった「七剣」に参加させ、徐若瑄には東京映画祭で上映された「人魚朵朵」の男主角に推薦された。彼はチャンスを得る風潮に立ったが、しかし突然の吸毒事件は、足を踏み外すこととなり低潮にさせた。彼は再び仕事をする機会を待つのみであり、次の波を待ていれば、高い波にしっかりと立つ機械を得るだろう。

拍男男愛不敢給父親看
Duncanの父親は彼がウィンドサーフィンから芸能界へ進んだことを、とても理解することができなかった。「17歳的天空」ではじめて知名度を得て、この作品は香港でも上映されたが、彼は父親にこの映画を撮影したと知らせる勇気がなかった。
ウィンドサーフィンの選手になることを放棄したとはいえ、彼はいまだにこのスポーツを趣味としており、休暇ごとに海へ行きウィンドサーフィンを楽しんでいる。そのため多くの同好者と知り合い、さらに親善レースに参加し奨を得ている。方法は異なれど父の希望を継承しているのだ。

滿意自己表現
「17歳的天空」はゲイの生活を陽光健康にえがくことに挑戦した作品だ。Duncanも劇中の自分の演技に満足している。しかし劇中の男性同士のキス、ラブシーンは保守的な親に受入れさせることは容易ではない。Duncanがいうには、香港試写のとき、母と妹(?姉ではないの?)は鑑賞にきて、劇中の彼はカッコイイと絶賛したが、父親にこの映画をみせる勇気のある者はいなかった。彼に「17歳的天空」を父親に観て貰いたいかと尋ねたが、彼は笑うだけでえ答えなかった。心中では父親に自己の努力の成果をみてほしいのではないのだろうか。

・・・途中かなり意訳しています。
変なところ、間違っているところがあれば、是非指摘してくださいm(_ _)m
父との確執と今後の活躍を願う内容だと思います。
「Duncan也是風浪板高手,但他不願比賽受訓,只希望好好享受運動的樂趣」あたり、なんかDuncanだな~と思いました。

最初「またアレについて~」と読み始めたのですが、違いました。
何故Duncanが台湾で芸能活動をし始めたのか、その確信的な動機が書かれていました。
父親と息子・・・というと私は台湾ドラマ「ニエズ」を思い出してしまいます。
父の願い通りにならない息子、父には父の思いがあり、息子には息子の思いがあり・・・。

Duncan加油!!

by nahiru | 2006-01-22 14:22
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